先生方に稽古をいただいたあと、お礼とあいさつに行くとよく言われる言葉だ。事実、そうなのだと思う。しかし、今日は6人の先生にかかり、お二人の先生にそのように言われた。重症だ。
思い返せば、五段審査の受審に向けた稽古のときから言われ続けている。六段審査では、自分自身がかなり意識し、暇さえあれば、広島県の師匠に攻めについて教えを乞うていたことを思い出す。
それから数年。久しぶりに「攻めがない」と一度の稽古で複数の先生に言われた。上位者には、攻めかかる稽古をお願いしているつもりだ。今日も同じ気持ちで稽古をいただいたつもりだった。
何か、根本的に見直さなければならないのだろう。
令和六年八月二十五日 日曜日
コメント
おはようございます。
「攻めがない」
次の境地へ進む際に、良く指導を受ける言葉でありますね。実は、私も八段の先生に同じ指導を受けています。
自分では、攻め崩しているつもりでも、上手の先生方には攻めが効いていないのでしょうね。
色々な条件もありますが、日頃から稽古をし慣れ親しんだ先生には中々攻めは効かないものです。攻めに関する気位など、ある日突然身に着くものではありませんので。
それでもやはり、その立ち合いに掛ける生死感は、必ずお相手の先生にも伝わるはず、だと思い、初一本に掛ける稽古が重要だと感じています。
いつもコメント、ご指導ありがとうございます。最大の課題と認識しています。積み重ね、承知しました。