ソバーキュリアス

心情

私は、ソバ―キュリアス(Sober Curious)だ。酒を飲めないのではなく、飲まない。

酒を飲むことをやめたのは、5年3か月前の令和元年5月のGW明けのある日。そのとき、私は広島県呉市に単身赴任していた。

やめた理由を人から頻繁に問われる。理由はいくつかあるが、こじつけ、あとづけ感が否めないので、自分からは積極的に話さない。

飲酒歴は相当長い。昭和の頃のことでもあり、計算と一致しない。以後、飲む頻度、酒量、飲む酒のアルコール度数、すべて右肩あがりだった。

このため、幾度も休肝日を設定してみたり、平日断酒、休日断酒など、さまざまな酒量の低減策を試みたりしてきた。しかし、どれも長くは続かなかった。おそらく、「決め事」が中途半端で逃げ道だらけだったので守ることができなかったのだと思う。

断酒に関しては健康上の必要性はなかった。しかし、こんな風な時間の使い方で良いのか?とは常々思っていた。それと飲みすぎは気になっていた。

そこで、突如の決意「今から飲のを止めてみよう、、、」。単純にそれだけ。「我慢ならない、、、」ということはまったくなく5年以上続いた。新型コロナ全盛期も手伝ったのだろう。

その間、様々な酒席があった。しかし、乾杯ですら飲まなかった。仲間が開催してくれた私の定年退職送別会や会社の経営陣が催して下さった再就職時の歓迎会でも失礼ながら飲むことはしなかった。

しかし、昨夜、それが過去形になった。5年3か月振りに飲んだ訳である。

理由は、娘(長女)と乾杯したかったから。娘は、今週末に成長とともに窮屈になった小さな住処を離れ、巣立って行く。

正直「結婚するまで家に」という気持ちはある。それは父親のエゴだろう。成人して社会人としてきちんと勤めている立派な社会人。本来、自由であるべきだ、、、

家内の手料理でささやかな家族の送別会を開いた。既に独立している息子も参加してくれた。次女はいるだけで明るい。その席で、断酒を中断した。

もちろん、長女のためではない。自分のためである。厳密にはあらかじめ決めていた。それにしても、久しぶりの酒は極旨だった。

酒の美味さを思い出した。しかし、流されない。ソバーキュリアス生活に戻る。既に「飲まない良さ」を知っているので、断酒は簡単だ。

次の「飲む機会」は既に決めている。その日が来るのが、楽しみで待遠しい。

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