前後倒置

心情

今朝、出勤途上で珍しい光景に出くわした。うら若き女性がコンビニエンスストアの店頭で器を左手に箸を右手に持って、サラダスパゲティを召し上がっていた、のである。なんと、立ったまま。

うら若き女性と書いたが、老若男女の関係はない。性別容姿は単なる描写だ。初老の男性でも驚きは同じだっただろう。

おそらく、朝忙しく朝食を取らずに電車に駆け込み、予定時間までに隙間時間ができたのでコンビニエンスストアに立ち寄ったがフードコートがなく、仕方なく店頭でかっ込んだ、というシナリオだろう。

誰に迷惑がかかると言うこともない。どこかで食べてゴミを放置する輩に比べれば、購入したお店のゴミ箱を利用するという選択肢は律儀だし合理的だ。その人がその朝食によって、良い一日のスタートを切れたのならば何も申し上げることはない。

さて、この光景に接してある言葉が頭に浮かんだ。「食べ歩き」である。旅先などでの楽しみの一つだ。このワードに悪い印象を抱く人はおそらくいないであろう。

しかし、これらの言葉を前後倒置、つまり、修飾語と被修飾語を入れ替えると途端にお行儀が悪くなるからおもしろい。「歩き食べ」を自分の子がやったら間違いなく注意するだろう。

歩き食べ、、、ひと昔前なら全く受け入れられなかったと記憶している。しかし、昨今の街の風景は明らかにそれを許容している。例えばスターバックスコーヒーのカップを片手に颯爽と待ち行く人。この人を見て行儀悪いなぁ、と思う人はいないだろう。ドリンクだから?では、一体どこからお行儀悪いと人は思うのであろうか?

ドリンクと言ってもペットボトルやカップなどな問題ないが、缶ビールや缶チューハイは少々違和感がある。美意識というよりも、道徳的な観念かも知れない。歩きながらする摂取するものが液体から固形物になると話が違ってくる。パンなどをかじりながら歩いている人を見て「お行儀よろしい」と思う人は急激に少なくなるだろう。そして、百歩譲ってホットドックやソフトクリームなど片手で済む食べ物なら多少は許容されそうな気がする。しかし、これが両手使いとなるとさらに抵抗感が増す。

しかも、スプーンやフォーク、増してや箸を使うとなると、もう信じられないレベル。つまり、片手が私にとっての「お行儀良し悪し」の限界線、私の美的感覚の閾値のようだ。もちろん、人によってこの基準は変わるだろう。私の父の世代なら「とんでもない」、私の子の世代なら「いいんじゃない?」ってところか?

「食べ歩き」と「歩き食べ」のように前後倒置で言葉の意味が全くことなる、、、。そういえば、昭和の頃に「役者バカ、〇〇〇〇、□十歳」というテレビCMがあった。役者を生業とし、その道一筋に生きる人、という意味であり、敬意を込めた褒め言葉である。

しかし、前後倒置すると「バカ役者」となってしまう。たけしさんやはなわさんのネタのようだ(笑)。今朝の彼女の姿が美意識や美的センスというものを改めて考えるきっかけとなった。感謝申し上げる。

令和6年9月17日 夜

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